いいやつばかりじゃないけど、悪いやつばかりでもない。
わたしは毒舌を持っている。
自分の言いたいことが、中庸な言い方では伝わらないと思っているのもあるし、
強い言い方をしないと自分自身の表現欲が満足しない。
つまり、わたしは、相手の枠組みを全く考えることができずに、SNS上に罵倒するかのように言葉を放つことが多いと自覚しています。
十音のFBページでは、
きちんとした文章ではありませんが、表現として満足しているし、世の中の「罵倒しないでよい側面」を書いているので、嘘では決してない。
1年前の春ですが、個人のSNS上で、罵倒する自分が嫌になり、反応が得られないことにも腹を立てて悲しくなった私は、夫以外の「友達」を「全削除」して見えないようにするという挙に出ました。仕事のほうのページは辞めたくなかったので、アカウントは残さないといけません。
フォローを外すだけすればよかったのでは?って言われるんですけれど、
まあ、グレーを味わう気分でなかったのです。もう笑い話みたいな感じです。
その結果悲しませた友人もいた、?かもしれないし、
不安定な人として軽蔑もされた、かもしれませんが、
大部分からはあまり気にされなかったというのが感想。
わたしの友達はみな大人だし、ヒマではないので…
自分がいいね!していたニュース系のフェイスブックページだけがよく読めるようになり、入ってくる情報が少なくなって喜んだのもつかの間、
個人のほうの友達を削除してしまうと、十音のほうの企画の「イベントページ」をだれにも宣伝できない、招待もできないということに気が付く。ひええ。
そして、亡くなってしまった方の過去の投稿をもう一生、読むことができなくなっていることに気が付く。
中途半端で、愚かな自分を強く恥じました。
結局SNS世界を利用することはできていない自分をカッコ悪い、と思いました。
何かに支配されるのが本当に嫌いなのです。
そして、仕事上でつながっていく世界が結構楽しいことに今更気づく。
だんだんドライな在り方を学びもする。
楽しみたいなと思ったりする。
そこで、一度「削除した友達」というのに再び申請を送るという挙に出ました。
それはそれで本当に恥ずかしくて、
相手に不審がられる、かもしれないし、
「あなたを嫌いとかじゃなくて、こちらが愚かだったんで再申請しているんです」という説明はもう本当にめんどくさく、我ながらなんてアホなことをやっているんだろうと思います。
しかし
わたしの友達はみなやはり大人でヒマ人ではないようで、
ジャッジなく快く再申請を認めてくれた方がほとんどで、ありがたいなと思う。
あまり気にされてなかったのもありますし。
*
そもそも…
SNSへのスタンスの取り方は個人の自由であって、
上記のようなアホみたいな責任(宣伝の機会を逃して集客に苦労する)もとったし、
他人から指図されたり審判されたりしながらやるものではない。
SNSは100%ではない。
どんなにビッグデータでも、ここに存在している私がすべてで、
結局、会える時に会った人が大事な人だと思う。
この7月中は、突きつけられることが多く、悩みました。
発信の時に選ぶ言葉について、つまり自分の毒舌について、
自分の表現したい欲望について、
他人を傷つけるかもしれないということについて、
他人から傷つけられたくないということや、
傷つけられたので、
相手を傷つけたい(こてんぱにやっつけたい)という欲望について。
ただ、突きつけられている私のところに、
なぜか語り合える表現者が刺客のように(?)送り込まれる不思議なシチュエーションもあって、
「コトバと声と音楽を使って表現」を仕事とする、歌い手たち(複数)のケアを、
しごととして出来たことは五行の采配に感謝。
今は、
語り合いながら照らし出された自分なりの強い振れ幅と、
振れ幅に付き合いながら定まってきた強い中庸を、大事にしてみたいと思います。
その①
まず、怒らないようにね、というのは効かないということには気が付いていて、
大概わたし個人に向けられた個人の行動に「腹を立てている」程度のことが多いのですが、この「立腹」程度というのは肝臓の生焼けみたいに質がわるいので、
ちゃんと怒ること。
なによりも、劇場型に「面白い、ステージにのっけて良い」と自分で思えるまで怒ること。
脳内BGMが明るいヘンデル系じゃなかったら、書かないこと。それは個人的でスカっとしていないということだから、面白くなるまで、発火させること。
解釈によっては、また山﨑劇場かよというぐらい、自分の愚かさもさらして怒ることと、できればとどまらずに走りながら怒って体力も使い、
さっさと怒り飽きるようにすること。
わたしにやさしくなく、突っかかってくることに喜びを感じている人とは、
さっさとおさらばすること。
その②
アーティスト/手技療法者としての表現と、プライヴェートの表現は、乖離させないようにします。
セラピストの「復帰の語り」、キラキラした投稿は尊敬しますが、わたしの手の内のセッションはそれでは表現できないので…
クライアントの一人が言ってくれたように、私は「悲しみを知っているブルーグレイ色」で、実はいつも強い悲しみと一緒にいる。
そしてクライアントの中の暗いところに呼応する自分の闇を大事にしているので、
どうしても語りは混沌としたものになります。
解り難いリフレクソロジストとして、復帰的な論調に恐らく逆行しつづけると思います。
十音が怒りっぽく、承認欲があり愚かで、まったく完璧でないことはクライアントや周りの方にはすでにバレていること。
しかし同じ十音は、やさしく穏やかで、自立していて賢く、完璧なステージを目指していることも確かです。
かっこつけられない自分と、かっこつけたい自分と常にマーブル模様で混沌としたものを抱えたまま、こんがらがった他人の心身と向かい合う職業を選びました。
そういえば…中学生のころ、年上の少女から、あやちゃんてふくろうっぽいよね、と言われていたことを思い出しました!
ちなみにえのさんにやってもらったマヤ暦は「青い鷲※」、
ドルイド占い(ケルトの占い)では「鷹」だそうで、
だんだん上から目線になっている感は否めません。
※2020年注;青い夜ですね。
まあリフレクソロジストとか、セラピストとカテゴライズされたところで、突然人格が格上げされるようなもんでは、ありません。施術している間の「相手が眠った」とか「泣いた」とかいうことにドヤ顔している場合でもありません。
人間はそれどころではなく複雑です。
言葉で解決しないから、触られにくるのです。大変なことです。
その③
友達申請というのをFBで下さる方は、十音のFBページにも「いいね!」していただけると、受信としてはよいバランスかと思います。笑
それに、やっぱり仕事の発信を応援していただけたり、拡散していただけるのは嬉しいものです。
その④
特にありませんが、行動すること、結果を出すこと、トライすること、楽しむこと、笑わせること、感動させること 大事だなと思いました。
「泊めてもらえるところに善きものや幸せをもたらさなければ、だれが旅人を歓迎しよう」という感じの古代詩があったと思います。
逆に感動させなければだれが十音をおとづれましょうね。
【十音の混沌発信集】
◆リフレクソロジー雑司が谷十音(とーん)の開室日。朝は、7:
https://bit.ly/2JNBa4x
https://ayakoxyamazaki.