間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

震災の日のこと。

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東日本大震災があった時、

朝、9:30前に部屋を出る際に、ゆらゆらっと小さく揺れて、

あらま、と感じたのを、灰色の玄関前の風景と一緒にとてもよく覚えています。

 

その日は日本フィルは東京定期演奏会の初日で、

15:30時点、

「シフト」と呼ばれる演奏会付きのスタッフは全員事務所を出ていて、

わたしは、少し落ち着いた気分になって、

やっと遅い昼食をとることにしたのでした。

 

どうしてもフィッシュアンドチップスのように、

じゃがいもを油であげたものをたくさん食べたい気分になっていて、

フライドポテトを買う気にもならなかったので、

それまで一度もそんな昼食にしたことがなかったのですが、

ポテトチップスとサンドイッチを買ったのでした。

細い路地を渡ったセブンイレブンで。

 

15:40ぐらいに戻ってきて、

事務所の台所でそれを食べていたら、

第1弾の大きなゆれが来たのでした。

 

揺れているのに、

お腹が空いてるなーと思って、

しばらく食べ続けたのを覚えています。

 

上司のTさんが自分が昼食を食べているテーブルの下に逃げ込んできて、

同僚のIさんが、

「井上さん、食器棚から離れてはなれて!」と大きな声で言ったのを覚えています。

 

当時、事務所は、掃除が好きな人があまりいなかったので…(笑)

食器が割れてちらばったらだれも掃除する人いないなーとか、思ったわたしは、

メンドウなことから逃げたくて、

食器棚を軽く押さえに行っていたのでした。

 

長い揺れでした。 

上司がすぐにセブンイレブンに行って、

菓子パンをたくさん買ってどかっと、テーブルに置きました。

 

夕方、

演奏会は開演が決まって、

 

「今のうちに夕飯を食べなさい」

と、専務理事からお達しがあり、

なんだかにわかに活気づいてしまった青海街道沿いの飲食店のうち、

ラーメン屋に先輩のKさんと行きました。

いつもはにこりともしないラーメン屋のおやじが、

その日はなんだかおかしくなっていたのか、にこにこしてラーメンを作りまくっていました。

街道を歩いて帰る人たちで、ラーメン屋は大繁盛でした。

 

NHKが無料のストリーミングをしてくれたので、

それをつけっぱなしにして、夜通し近々行われるイベントの資料を作っていました。

 

今夜は事務所に残ろうと思ってからは夜が長く、 

部屋の端には企画制作部があって、

福島に実家があるKさんが、やはり黙ってパソコンを打ち続けていました。

 

男性の事務局長はじめ、

2,3人残っていた女性も、布団はないけれど会議室で少しずつ仮眠をとっていたと思います。

 

定期演奏会の1日目が終わったのをどう知ったのか忘れました。

 

2日目は、

サントリーホールで楽員と一緒に夜を明かした同僚から、

事務局長に定期公演2日目もやるのかという問合せの電話を受けたり

楽員の奥さんから、「早く夫を帰してほしい」というクレーム電話を受けたりとか、

考えてみたら、そのあと電話はほとんどつながらなくなっていったのですよね。

 

さあ、東京のオーケストラは、

演奏会をするのか?というところで1日目から、

隣がどういう声明文をだすのかというのを探ったり。

 

いざというときの例文がなかったので、

そこで考えるしかなかった。

 

でも、判断をしてくれる上は、

みな自宅に戻ってしまって、

なんなんだろうと思っていました。

 

さて、コトが起こった時、

わたしのまわりの頼りになる人は、みな女性でした。

あの震災で知ったのは、男性の頼りなさや弱さもあったと思います。

 

あと、何晩かずっとラジオをつけっぱなしにして寝ていましたが、

ある夜、モーツァルトのピアノだったかオケだったかが流れて来て、

ああ、今夜は眠ってよいのだ、と思ったのを覚えています。