tonenoteトオンノオト
2月の寒さにしょんぼりとしたけれど、これから気温が上がるので楽しみ、仕事が立て込んできた という方への今日のノオト。
沈静モードの内部がとけて流れ出し、ピリッと力強く炎がともり、少し華やかな気分も溢れてくるように
花を足せばよかったな
2022 啓蟄
マスク生活が始まって他人に触れることができなくなってきた時、「うちの足の物語」というイベントを起こして沢山の方に運べない足を写真で送っていただき、主に五行論での弁証勘を鍛えました。
https://ayakoxyamazaki.wixsite.com/reflexology-tone/2uchiashi
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培った直観が思いがけずこの1年の薬店の裏片で役立つ機会があり、責任者のお一人からご要望があって一対一の小さな東洋医学基礎講座を持ちました。
壮大な雑談会の体でしたが…
五行論を知り、自身、家族、そしてチームの養生に応用していく試みです。
大して準備もできずに臨んだにも関わらず、ヒト一人の中には何時間分もの五行論へのドアノブがあって、それを一緒に見つけていくだけでひととおりの五行談ができるのです。
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雑談から自分で見つけ出したその知を、家でパートナーと話しまたそこに談義が生まれたのだと次の日メッセージを頂き、十音の旨とする究極のオーダーメイドの紡ぎが繋がったことに勇気づけられました。
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今、このパーソナルな基礎講座と施術でパーソナルなプログラムを組めないかと考えています。
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足から自分の身体を聴くこと、東洋医学の基礎知識、さまざまなところに宿る五行論を一緒に見つけ出し、言葉にして身に付けながら、ゆくゆくはご自身固有の「うちの物語」を導き出して、不調に備えたり養生したりできるようになることを一緒に目指します。
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言葉の物語にすると、焼き物が土に戻れないがごとく、知見が強くもなり固定もされるが不可逆になってしまうということをいつも、ずっと、考えてこざるを得ませんでした。(大失敗が多くて)
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でもそんな寄り道続きでリベラルアーツ、というかリベラルワークな施術家との、どこまでもオーダーメイドで一対一のワークショップとなる予定です。
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オーケストラの事務局時代から、さまざまなワークショップを開発しファシリテーターを養成してきたヴァイオリニストのマイクさん(マイケル・スペンサー)のもとで、アーティストによるファシリテーションということを(もー嫌になるほど)考え抜いた職歴も、こうやって消化できることになるのかな。
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やらかしてよかったと思うことばかりです。施術家とはそういう職業なのですね y(^^)y
tonenoteトオンノオト
言葉も含めて、音の暴力からひたすら逃亡していると、無音より自分を助ける力のある音に出会えることも。全くの無音より静寂のほうが鎮静作用があったりするものだと思います。
メロディが暴力になることも、純音が人の体を責めることもある。
最近中学理科の復習を始めてみたんですけれど…「波」の侵食力の話でもあります。
それをあくまで有機のレベルで職人として考えていたい。
全くの無音より静寂のほうが鎮静作用があったりするものだと思います
どこかに、十音の音の基準を書いたのですが、探せない…
口ずさめないこと、次が予測できないこと、体を澄ました状況で聞こえる程度の音量だった気が。アンビエントと名がついてもそういう条件に合うのはとてもとても少なくて、口ずさめた途端に良くも悪くも思い入れのエネルギーを感じ「あなたもか」と思う。
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でも音以上に、施術で触覚で記憶を残さないのは難しい。
大切に押して離した、というその質だけあればいいのに。
tonenoteトオンノオト
夜ごと 戦争との間合いが難しい
歴史との間合いが難しい
人が受けた傷との間合いが難しい
2021 雨水 霞始靆
追記 ウクライナの人たちが気になって仕方ないけれどまずは眠らなければ。スマフォをオフにします。
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この時代に、空爆とか戦争がしたいだなんて、時代遅れにもほどがある。人間として未成熟なんではなかろうか。取り巻く国際社会もこんな勝手を許していいのか。長い冬の終わりにこんなことひどすぎる。全てが金と利権で動く時代の次の段階へと、ウィルスが促してくれていただろうに。
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映画『大いなる沈黙へ』を観る。冬から始まって季節を追うような構成。白いフェルトの修道服が揺れたり隠したり、もう1枚の皮膚のよう。その服を脱いだ老修道士の乾燥した皮膚に、若い人が軟膏を塗ってあげているシーンがとてもいいなと思った。そういえばと思って、ナルドの精油を追加オーダーした。
共同生活において、それぞれが役割を持っている。雪に埋もれた花壇を掘り起こし、植物の種をチェックするおひげの修道士は結構ひんぱんに中庭を横切っていくカットが採用されていて、彼が季節を生きて季節に喜びを見出す人だからだろうと思った。
若い修道士たちの食べ物を咀嚼する確かな動きにも感動した。なんだか動きと音にずっと感動していた。
ただただその皮膚で敏感に感じ取りながら、さまざまなことを全身で聴きながら、目で文字を追って学習し、グレゴリオ聖歌を歌う、粛々とした日課に満ち足りて感謝して生きることが修練なんだなあ。日曜日の午後だけ共に食事して、散歩して、語り合う。
(これだけ書くと実は今の十音の生活とリズムが似ているような…)
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オミクロンさんは肺までいかずに上気道で暴れる傾向が強いようだ。
薬店ではのどの痛みを和らげる抗炎症作用の薬がどんどん売れている。
肺を病み、感情的には悲しみの強かった初期のウィルスとの付き合いは、
のどの違和感に怒りを募らせる時間に変わったのかもしれない。
肝を養生して魂はちゃんと芽吹かせよう。
ということで今夜はターメリックを使って煮込みにしようと思います。
2022 雨水
色の無限な組み合わせにくらくらするような季節がきますね。緑族もさまざまです。
ゆっくり布団から出て、ひたすらベランダ薬草園を眺めています。
今は、
こうあらにゃ、という思いが強くなりそこから外れたことに苛々しがちな季節でもありますが、毎年、いろんな人体が、そうあるあるなので。
いなすが勝ちです。
足の甲を伸ばして柑橘の香りを吸い込むのなんかおすすめです。
喉が痛かったり咳が出たりする方も、足の甲、固くなっていませんか。
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今日は本来オフ日なんですけれど、人不足で夜のシフトに入ります。すっかり朝方人間で夜枠はあまり良いパフォーマンスができないので、これから2ヶ月かけて減らしてもらう予定。秋頃からけっこうな振りを引き受けずにおれない状況でした。私が引き受けてしまえば何人かが楽になると思うとつい。
でも、その状況も改善に向かいそうです。薬店では立場はパートタイマーですからね。初心に返りたいと思います。
ずっと募集をかけているのですが、学生さんは講義もなかったりと東京でのバイトをあまり必要としていないみたい。
学生でなくても夜のアルバイトを探している方が、早く応募してくれるといいな…人間観察にはもってこいの職場ですよ(笑)。それに、真面目に出勤すれば時給で払われていくということや、形あるものを右から左にお渡ししながら眼の前において売上が積み上がっていくということの、シンプルさは中毒になります。魂売り渡しそうでした。あぶないあぶない。
十音はコト売りです。モノ売りのいいところ、いただきつつ、植物を眺めつつ、新しいコトを考えます。
tonenoteトオンノオト 小休止
ネルソンがかなりの北部にあるために、戸外で何もしなくてよい何か月かがあるということは、私にとってなんという幸運だろう。11月の終わりごろまでには、庭はベッドに寝かされ、4月の終わりごろまで眠っていてくれる。窓にとじこめられて、私はようやく書くことに集中できる。けれども1日の仕事が終わると、私は植木屋のカタログやパンフレットに見惚れ、翌年の庭を空想する。だから少なくとも私の想像のなかでは、庭はいつでも大いに生きている…
貸出期限切れ間近のメイ・サートンの『夢見つつ深く植えよ』を開いたらこの部分だった。みんな一緒なんだなあ!私は3月までさえ待てずに、土用が終わった途端に土をいじり始めてしまったし。
この本の原題は Plant Dreaming Deep で、『夢見る想いを深く植えよ』とも解釈できるそう。小さなベランダ薬草園のひとつの植木鉢であっても、植わっているのは期待。
だから毎日、外仕事から帰ってくるとしばらくただ植物を眺めている。
庭作りは、それを受け入れられる中年の、実りある報酬のひとつなのだ
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たまたま読んだフィギュアスケートの羽生結弦選手が記者会見で、ご自身のことを「羽生」と呼んでいたのが印象的だった(「羽生が好きなスケートを」と言っていたと思う)。
また「9歳の自分」と対話をしながらジャンプを仕上げたり、氷と仲良くなったりとか氷に嫌われたり、という表現も、もともと詩人的な気質を持った方なのだろう。
そんなことを反芻しながら朝仕事に向かっている途中、最近ちょっとその存在を忘れられていた「十音のマネージャーのヤマザキ」が少々腹立たし気に立ち現れる。
もともとオーケストラのマネジメント部門に10年染まったあと、
2018年に「オレはいいけど、矢沢はどうかな」の言葉を小松さんから聞いて、
アーティストとしての自分(十音)が専属マネージャとしての自分(ヤマザキ)に伴走されている感覚はずっとありました。
でも、ここのところずっと感じていた違和感は、この2人の求めるものが不一致なのではということに気がついた。ウィルスとの付き合いの中で「ウチの足のものがたり」に取り組んでいた時は、いったんはしっくりと、一体化できた。「ウチ」に籠って、部屋の壁を自分の皮膚のようにして一緒に呼吸をしていたからだ。
薬店で登録販売者研修に入ったあたりから、つまりはここ1年ほど2人がお互いに不満を持っている十音とヤマザキにそれぞれの言い分を聞いてみました。笑
ヤマザキ曰く、
十音はもっと施術に専念すべきだ。そして施術に関係のあるワードのみを集中して日々集め、宣伝のためにヤマザキへ渡してほしい。消化したい雑多なことがたくさんあるのはわかるがアナタの胃袋は自分が思っているほど強くないし、体力も思っているほどは続かないはず。こうして外仕事に気を入れているにも関わらず十音を気にかけて下さる方は、かろうじてまだおられるけれど、
その道草の説明がまったくついていないではないか。
アナタの想いは実装に乏しいのだ。憧れが顧客を生むお商売でもあるだろうに、恵まれた体躯を生かしもせず、毎日同じような仕事着にノーメイクで白髪も増え、消耗のイメージさえある。わたしはもっと十音に余裕を見せてほしい、足だけ90分の施術の奥深さをもっと解りやすく説明するために努力をしてほしいのだ。アナタは努力が足りない。人に迎合する努力が。わたしはアナタにもっと稼いでほしい。なかなか独自なセンスを持っていることは認めるし、それなりに適応力もあるのでどこでもバエるパフォーマンスをするかもしれないが、文化的でない人たちにとっては格好の搾取の対象だ。ちゃんと判断できているか?
十音曰く、
リフレクソロジストとしての枠にとどまらず、植物や医薬品や音楽や語学の知識に加え小売業でのパートの経験をすべて作品として結晶させたい。仕事の場や1年後のヴィジョンはある。しかしその具体的な方法や作品のカタチが見えてこないことに焦りもしている。しかしもうちょっと待ってほしい。4月になればもう少し身体が楽になるはずであるから、考える時間も書く時間も取る。今は、気力体力を集中して使っていて色々と斬り捨てシンプルにしている。それは賢いことだと思っている。規則的な生活、よく食べ、よく働き、よく寝る、そして自分の持っている基礎的な美しさを引き出していきたい。それにしても、人心の荒れた社会生活の中で、エッセンシャルワーカーとしてわたしはよく踏ん張り、自棄にならず、今までの経験を生かして運営に貢献までしているつもりなのに、その生活を良しとせず批判するあなたはちょっと厳し過ぎやしないか?てゆうかあと30分でセッションだからアナタ黙っていて。
まだまだ言い分は終わらないので、「続く」とするが、この作業はとてもいい。そこに、「ただの人体」としての感じて影響を受ける物体山﨑絢子のコメントも加わればとても整理されたものになると気が付きました。
殆ど活用できていなかったツイッター「十音の調子」をマネージャーヤマザキのつぶやきの場とし、
このブログはアーティスト十音の「実装できていない」埋めた想いのたけとし、
「ただの人体としての山﨑絢子」を個人フェイスブックで晒そうか…本当につながるのは会ったことのある方のうち文字通り「友だち」だけだけれど。そして、そこには、マネージャーヤマザキ(調子さん)が目を剥くような、ふさわしくない内容も並ぶわけなのだけれど。
などと閃いた、満月になるらしい夜。
休止 と英語の音楽辞書と日本発の音楽辞書(平凡社とか)で引いてみると、前者は3行、後者は3ページの差がある。3行で終えるための文章はと言うと、「音のない区間」という感じ。
そんな単純なもんじゃない、というニッポンの休止。間のこと。と十音は言う。
調子さん曰く、その美学を持って足を触っているというところが、なかなか独自で面白いんだけれど、いかんせん「解りにくいリフレクソロジスト」なんだそうです。十音。
閑話休題、と言ったりするのかもしれませんが、今日読んだ本の「小休止」という言葉があまりに収まりよく、きれいだったので。