間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

珍客の音連れ。

過去のブログを全部こちらに移し終わりました。

 

移し終わったと同時に、珍客の訪れの報せが…

不思議な日。

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「ほぐしをほぐす」お休みだなー。

 

そろそろ来るか?
いや、まだピンとこないです。

ayakoxyamazaki.wixsite.com

 

 

手waza市は手waza師に助けられて場を保てている。

ayakoxyamazaki.wixsite.com

 

 

オーケストラはホリスティック。

人の身体に携わるようになって、
オーケストラの体験が変わりました。
いい演奏会にあたると、
ホール全体が、舞台上の個々の演奏家を臓器とした、巨大で活き活きとした人体に感じられるようになったのです。

 

指揮者を心臓として、濃い血液が舞台の一番奥の演奏家まで届き、
そこから愛ある演奏として還ってきているのが見える。
包み込むホールは骨格であり、皮膚として、聴衆であるわたしたちのことも包み込んでどんどん潤う。聴衆は、消化器系(笑)。
ホールは、素敵な演奏があると、本当に狂喜して、ハラを揺らして笑うのだ!
舞台上から風がくる。

 

オーケストラのオフィスにおいて広報部のウェブ担当もしていたからでしょうか、
わたしは耳から聞こえてくる音楽をアタマで理解したり、
分析したりしようとする傾向が強く、
無理やりにでも「コトバ」を取り出さねばならないと自分を追い立ててもいました。

 

その聴き方も、ある意味筋トレ的に、
仕事として芸術に関わることの大きな筋肉として私のなかに残ってくれている。

 

けれど頭脳を忘れて、感覚的に「ちょう個人的に」音楽に浸る幸せときたら。

 

時には、どこか血行不良で冷え性の臓器がありそうなコンサートもあります。
細胞が疲れていたり、臓器間の相性が悪かったり、
包み込む有機的な筋肉であるところのホールと相性が悪いこともある。

 

小さな胚に最初に生まれたハート、心臓としての指揮者、
大森大輝さんだって、何年も前には、
移植された他臓器たちを相手に血を送り出そうと奮闘し、
=1:100 の関係の前に難儀したことだろうと思う。
なにせ、2015年フルオーケストラを組織した時点で彼は高校2年生。

 

そんな彼らの、 

ヴィルトゥオーゾ・ユース・オーケストラ(VYO) 

 

気が狂ったプログラムを2019年狂乱の世間の仕事納めの日に聴くことになる。

オール・チャイコフスキー・プログラム
交響曲5番→ピアノ協奏曲2番→ピアノ協奏曲1番→交響曲6番って…

午後4時開演で6時までが第1部。
1時間の休憩のあと、7時開演の9時15分までが第2部って… 


加えて午後3時からは、舞台上で弦楽六重奏をやっている人たちもいるという、
底なしの体力と弾きたい気持ちがなせる業。


そこに演奏できる舞台がある万歳!ならば時間の限り弾き続ける本番三昧!
雑司ヶ谷手waza市もびっくりのマゾなフェスティバル状態です。

 
偶然本番前に会った指揮者から、
では、4時間頑張ってください〜
と声をかけられたのですが、どっちのセリフだ 笑

 

そういえば、
前職上やや偏った組み合わせでチャイコフスキー(特に交響曲第5番)が刻み込まれているわたしは、
ちょっとやそっとの音では血が沸かない身体となっているのですが、

 

果たしてVYOの舞台上には、
「心臓」と「臓器」の1:1の交歓が100集まって
ごおっと動いているみたいな人体=小宇宙が見えました。

 

そして、この臓器たちは、
音楽以前にまず「音」をすごく愛していることが伝わってくる。
音楽そのものとして動く身体がまたしっかりしていて健やか。
このような音と連なりを出したい、という強い意志を
がっつりと受け容れて崩壊しない身体。

 
特にコンサート・ミストレスは心臓の次にできて各臓器にメッセージを送り続ける肝臓として素晴らしかった!彼女が指揮者の意思を受けて音を出す動作を「見ている」だけで、こっちも何かが解毒されて流れていったもの。

 

4時間コンサートひえーと思っていたのにあっという間にたってしまう。
その間、かようにリベラル・アーツ的に音楽と関わる術を、
今までの体験すべてがわたしに与えてくれたのだということを思い、
その表現が私の場合はリフレクソロジーを通して噴き出すこと、
そういうふうにここに呼ばれているという感慨にふける。
  

ホールに生まれる、指揮者を心臓とした巨大な有機体。
楽譜を素直に音楽に変換する身体は眼福。
チャイコフスキーの作品に乗って届けられる音楽家たちの愛。
そのメッセージを受け取って消化するわたしたち。

 

あんまり若い刺激物なので食あたりした人もいるかもしれないけれど。

 

そして、これが年間100回以上本番をするプロフェッショナルとなってずっと保ち続けられる刺激かは、わからないけれど、

 

まぎれもない「今」だけの有機体。一部になれてよかったです。

 

 

大森大輝さんに初めてあったのは、
高校に情報が出ていたから、と彼が
マイケル・スペンサーの音楽ワークショップファシリテーター養成講座に
もちろん最年少で、飛び込んできたときでした。

 

親睦会への自身の参加費を、受講生(大人)たちへのファンドレイジングで賄ってしまったのはびっくりで、
そのリターンが「肩もみ」だったのも素敵でしたけれど、
何よりも大人たちは彼に親睦会へ参加してほしくて、みんな喜んで投資してしまったのでした。

しっかり者で、混沌としており、哲学的で、ロマンチストで、真剣で、ユーモラスで愛らしく、常に何かに怒ったり失望したりしている。という印象。つまり、味のある。

 

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ボディケアジャパン2019

夢中で動く日々でした。

タオルの洗濯がぎりぎり間に合った!

本日の空に感謝です。

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80年代半ば日本に持ち込まれた新しい「業」、ボディケア。

わたしが足を踏み入れたのは、2014年の11月で、十音を開室したのは2016年4月。

なので、生まれて30年余りの業界における「フロントランナー」のみっつまわりほどあとを走っている5年以下選手。

 

そして、フロントランナーのバトンを受け継ぎ、

インターネットの普及や時代の後押しもあってイケイケに仕事をされている

(ように見える)

15年選手の先輩たちが、

よちよちと頼りなく走る後ろのわたしたちに「ハっ」と気づき、

「そういえば我々には、後輩が生まれてきているのでは~!」と

自分たちの知恵を結集して見せてくれたのが、

今回神保町のIYCヨガセンターで開催された

「ボディケアジャパン2019」なのかなと、感じました。

http://bodycare-japan.com/

 

3日間続く講座祭りのうち、

1日目だけで5枠分4講座を詰め込んだわたし。

 

まず、女性の年代を追ったからだの変化については、

自分がこれから迎える更年期のこともあってしっかりと生理的に語ることができるようになりたかったので、

 

◆女性のからだに携わる方に知ってほしい「女性ホルモンとからだの変化」

http://bodycare-japan.com/instructor_takao.html

 

そして、それこそ15年選手の先輩、小松ゆり子さんの発信に何度も出て来るのでとても気になっていた「ポリヴェーガル理論」のはじめの一歩

◆より良く生きるための神経学~ポリヴェーガル理論

http://bodycare-japan.com/instructor_ogasawara.html

 

自分がプラクティショナーとして立っている位置を確認したくて、

◆ボディケア業界で豊かに生きる!セラピスト成功のための設計図

http://bodycare-japan.com/instructor_taniguchi.html

 

いま、考えていることと非常に強くリンクしている課題ばかり、

ちゃんと1日目に集まってくれていて、

また、同じぐらいの年数を走る(いや、先輩だな)榎本敦子さんとも

さすが席をご一緒し、

空いた時間に神保町の「エチオピア」で薬膳カレーを食べることができて、

本当に幸せな午後であった!

 

怒涛の週間のなかで受けたため、

この時間内に咀嚼しようと交感神経マックスだっような…。

 

そして、帰ってから家の紙類を古紙回収にまとめていて、

うっかり、とったメモをすべてそこに入れてしまい、

「さよなら」してしまったという…!

 

それなのに豊かに栄養としてわたしを養った言葉の数々が残っているのは不思議。

ラクティショナーとしての筋肉になり、

システムがしっかりしたような。

 

そして、フロントランナーと先輩たちに対して深く感謝するとともに

自覚したことがあるのです。

 

十音は、

このイベントのターゲットとなっているような、

謙虚で少し迷える子羊系とはかなりずれているということでした。

 

というのは、リフレクソロジーはわたしが「アーティストでありたい」

がために選んだ技の一つであって、

セラピスト業界で楽しく儲けるということ以上に、

美学への賛同者が増えて知的に刺激的な毎日を送りたい、

そして同じように自分のアートに一家言あるひとたちと、

交歓できる世界にいたいということが目標だから。

 

リフレクソロジストとして優れた手わざをもつことは目的の一つに過ぎないから。

 

上記の「アートに一家言ある」曲者は、

なにも音楽家や芸術家であるということではなく、

自らの仕事に一家言あるひとならだれもがのこと。

 

 

ワークをしたり、メモを取りながら、頭をもたげたのは、

「わたしの問題は、

選択に迷いがなさすぎて、その選択に疑問を呈してくる他者を敵とみなしてしまう、

その頑固さと、

そのくせふとした隙に洪水のように襲ってくる根拠のない羞恥心

ではあるまいか?」

ということでした~!

 

もうちょっと、揺らいでいたほうが、強いんじゃないかなあ。

 

揺らいでも倒れないであろう、という余裕があって、

「そんなこともあるのかー」といつもびっくりしては、

また新しい神経回路にしてしまう、

選択肢の多さを積み重ねていくことを心がけようかなと、思った次第です。

 

ラクティショナーとしての胃袋を鍛える。

 

2020年手初めに、

哺乳類に特有の副交感神経「ポリヴェーガル理論」について講義をしてくださった

(シマウマが、ライオンに襲われたあともトラウマになることはなく、

プルプルっと震えてから、仲間のところにすーりすり、とすれば安心して、

次の瞬間草をのんびり食べている、というところに感動してしまったので)

小笠原和葉さんのボディサンクチュアリに、

セッションを受けにいくことを決定しました。

 

愉。

 

 

 

 

 

 

陰極まる。

一年で1番長い夜のはじまりに、
甘くないリモンチェッロで胃をホカホカと。

レモンをウォッカに漬けて、最後に蜂蜜漬けしたレモンを加えてまた熟成(^з^)
黄金!

「言祝ぎは最大の呪(しゅ)」
By岡野玲子さんの安倍晴明

https://reflexologytone.hatenablog.com/ent…/2017/…/21/000000

讃えるという言葉が好きです
必ずある人の奮闘が先にあり、その労いと敬意がこもっている。

セッションをしている時の心持ちは、クライアントを讃えている、ということに尽きる。
ということに気がついた2019年の冬至
 
計算すると
軽く2000回以上の刺激を受け取っていただく、十音の施術。
(今日のセッションで1000回とか言っちゃった。2倍以上っす)

https://reflexologytone.hatenablog.com/ent…/2019/…/11/190058

 

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開室日、更新しました!

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序破急

施術のなかで、最後の植物精油の時間が好きです。

 

60分をオイルなしのローティング・サム、

30分をオイルでひざ下まで。

これが十音の90分。

 

ローティング・サムのイメージは「足踏みするしゃくとりむし」。

その、しゃくとりむしが隣のポイントに移行していく何百回の、

ほんの1秒のはじめとおわりの瞬間を、

まるでギター奏者が弦をはじくみたいだと思ってまるで音楽を味わうように耽溺しています。笑

 

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かかと周り(骨盤内の反射区になります)でしゃくとりむしが一回丸まって、関節を使ったりもします。

ちょっと雰囲気の変わる瞬間です。

 

 

そして、最後のオイル時間に夢中です。

スキーを愛する人はこういう感じかな、板の下の雪の感触に内臓が動く感じ。

手のひらでたどっていくと、

滑っていくところと、引き留められるところがあって、

筋の束のエッジをすとん、と落ちるに任せるのとかが毎回楽しい。

 

足は、精緻で繊細な構造物ですが、

2足歩行の宿命で結構な無理もかかっている。

 

靭帯がゆるくてちょっと組み上げが崩れたり、

逆に弓がきつく締めあげられすぎて柔軟性を失っていたり。

 

26個の骨が奇跡のように組み合わさっているのを、

いちいちいろんな方向から筋肉がつないでおり、

その締め、緩めのバランスは自律神経の具合なんかでも変わってしまうと

リフレクソロジーでは学びます。

 

「足踏みするしゃくとりむし」は、そのこまごまとした筋肉の

はじまりとおわりにいちいち揺さぶりをかけながらゆっくり進んでいきます。

揺さぶって、つなぎ目のポリッシュをしているような感じ。

 

ちょうどよく解れて自由になり、

筋肉が骨と対話しながら締め緩めをできるようになったあとに、

植物の力を借りて水平方向に滑る!

ポリッシュによって落ちたサビが、流れていくよう。

ごうごう。

 

「片足の指の先に、計6本の全身を通る経絡のおわりか始まりがありましてね…」とか

いつもご説明しますが、

その6本一気に流す!時間。

 

ちなみに、十音、手が大きいのです。

ピアノでいったら10度届くタイプのこの手も、

オイルタイムにはご一緒に恩恵をうけて大喜び。

 

むくみがとれて家路の靴のなかで足が泳ぐのも、

冷えがとれてポカポカになるのも、

この「足踏み」と「流し」があるからこその、

セラピューティック・リフレクソロジーの効果だと信じているので、

ぜひフルセッション受けていただきたいと思います。

 

もちろん、このエッセンスを25分に集約するのも

施術者の構成力だったり、技なのですけれど。

 

90分という「睡眠のひとサイクル」「コンサート一本」「講義一式」にあたる時間のセッションにおける、

十音の序破急

楽しんでいただきたいです。

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↑ 大好きなオイルタイム!その前の丁寧なゆさぶりがあってこその至福の時間。

 

 

1月の開室予定をだしました

2020年は1月3日から開室します!
 
上旬は朝セッション(7:00以降)をできる日が多いので、「冬はつとめて」をご一緒にいかがですか?
十音の施術部屋の窓は東向きで、それはそれは朝日が美しいのです。
 
1月の中旬、また丁度土用入りに休暇をいただきます。

 
その他、こちらからご覧ください。

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今年は旧暦正月が1月中に来るのですね!

 

勇気とアクセルの話。

誰かて臆病やねん。勇気ってのは、自然には湧いてけえへんよ。私、このごろ、それがわかってきてん。いつも勇気凛々なんて人間、いてへんわ

 

さっきの、勇気についての話やけど…たしかに勇気ってのは、自然には湧いてでたりせえへんなァ。俺、いままで自分のなかから勇気が自然に出て来たことなんて、考えてみたら一回もないわ

 

そやろ?いつまで待ってても、勇気は出てくれへんやろ?みんな、そうやねん。臆病風なんて、ほっといても勝手に心のなかをしょっちゅう吹き渡ってるねん

 

そしたら、勇気っちゅうのは、どうやったら出て来るねん?

 

勇気は、自分のなかから力ずくで、えいや!っと引きずり出す以外には、出しようがないねん。それ以外に、どんな方法もないねん。勇気を出そうと決めて、なにくそ、と自分に言い聞かせて、無理矢理、自分の心のなかから絞り出したら、どんなに弱い人間のなかからでも、勇気は出て来るねん
勇気を絞り出せへんかったら、どんなに立派な体格の男でも、歯医者さんのドアをあけられへん…
そやけど、そうやって必死で自分のなかから引きずり出した勇気っていうのは、その人が求めてなかった別のものも一緒につれて来るそうやねん

 

それは何やねん?

 

 

 

その人の中に眠ってた思いも寄らん凄い知恵と…

 

 

 

 

もうひとつは、この世の中のいろんなことを大きく思いやる心。このふたつが、自然について来るそうやねん

 

 

宮本輝『にぎやかな天地』から、32歳のフリーの編集者聖司さんと、姉の35歳看護師の涼子さんの会話。ト書きを省いて鍵カッコだけ抜き出してます)

 

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よく、お客様と勇気の話になる。

 

そういう時期だったり、必要としていたりする方が多いのですよね。

 

その時にいつもこの「勇気は、自分のなかから力ずくで、えいや!っと引きずり出す以外には、出しようがない」という宮本輝のフレーズを思い出す。

 

そして、引きずり出された勇気が連れて来る思いも寄らない2つのことについて。
前者「知恵」はわかる気がする。
でも後者「心」のほうが、ぼんやりしていて強い実感がない。

 

もう一つ、同じ小説のなかに、

 

アクセルを踏みながらブレーキも一緒に踏むような生き方はあきまへんで

 

勢いのあるときは、がんがん行きなはれ。それは年齢とは関係おまへん。若い人が伸びてくれんと、国は滅びますよってに

 

 

と「ご隠居さん」が言うところがあって、
それは聖司の、

 

やれるとこまでやってみよう、っていうのは、誰にでも思えるんです。ぼくは、それは勇気ではないと考えて、たとえひとつの仕事もなく、食えなくなっても、この仕事をやり抜くって決めたんです。 そしたら、国枝さんからこんな大切な仕事を頂戴しました。ちょっとうまいこと行きすぎやないかって不安で。その不安が、『お引き受けします』っていう返事をすぐにしてしまうのを、何て言うか…

 

という説明に対してしばらく黙り込んだのちに発せられる。

 

この「アクセルとブレーキを一緒に踏むのをやめましょ」についても、息を吸い続けながら歌を歌おうとするとか、いろんな拮抗するエネルギーに言い替わりますが、よく語り合っている気がします。

 

「何て言うか…」を口癖のように言うわたしも、
まだまだホンモノの勇気引きずりだしていないんじゃないかな。

いつも勢いよく、「やれるとこまでやってみよう」って書くけれど、ホンモノの勇気は独りで黙って引きずりだすもんなのではという気がする。

 

頑張れ、という呼びかけに、イタリア語だと、
Forza!とCoraggio!の2種類があるということを知ったのはオペラの勉強をしていたとき。
ラ・ボエーム」の最後に、印象的に coraggio !という言葉が出て来る。
そこには、キミの恋人は今亡くなったのだが、気を強く持て、崩壊するな、という友人の祈るようなきもちがにじみ出る。甲斐なく男は崩壊するけれど。

 

勇気を引きずりだす時、人間は孤独。その時のために、からだを調えて強くなろう。