間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

ほぐしをほぐす~セラピストのコリほぐし~Vol.1⑩剖けないということが解った。

参加者:私もリフレクソロジーをやっていて、
さっきの足の裏のデポジットは脂肪かもしれない、
という話についてもっと伺いたいんです。
 
 
 
 
 
 
小松:ジョンさんに限って言うと
足裏の脂肪が厚い人だったんですね。
医学用語でセルライトって呼ばれるものがありますが、
繊維が凝り固まっているところはあると思います。
 
そのよれが生じる原因はあるし、
感覚受容器は皮膚表面まで来ているから、
感覚受容器とその周辺の組織のなにがしかの問題というのはある。
 
またリフレクソロジーの手法によってレイヤーが違うので、
深いところに圧を入れるリフレの人だと、
それこそ脂肪層を超えた筋の部分までとらえているでしょうし。
 
解剖のえげつない話をしますが、
皮膚を丁寧にひっぱると
綿菓子のようなのが境目に表れて、
それをサっとメスで裂くんです。
 
それが筋膜のファイバーなんですけれど、
脂肪のところはやわやわしていてラードのように溶けてしまう。
その中にリンパ節とかも入っています。
 
リンパ節も丁寧にやっていないとザクって切ってしまうから
リンパ節ってとても繊細なんだな〜とか
そういう感じで扱っていたのですが、
足裏に関して言うと、
脂肪がもっとザジザジしている。
ファイバーの存在はザザザザっと、
刃こぼれしそうな密な感じ。
 
その密感が、こう、指にあたったら、
デポジットだと思いそう。
 
確かに、歩いているときにここがぶよぶよになったり
ズレたりしてはいけないから、
固く、しまった状態で脂肪たちが結合している。
その固さがある。
 
 
 
参加者:解剖を経て、
小松さんの身体感はどう変わったのかお聞きしたいです。
 
解剖を経てですよね…。
すごく変わった気がする一方で
すごく変わらない気がするという不思議な感じで。
 
「つながり」を意識することは増えましたかね。
皮膚のレイヤーはそもそも想像していたので、
思っていたのと一緒というほうが強かったです。
 
ただ、物理的な筋肉の厚さ薄さ。
例えば僧帽筋が、
パイシートを伸ばしたような薄さだったりするリアルさはありました。
 
筋肉それぞれにについての精度はあがっているかもしれないけれど、
皮膚があって脂肪があって、
筋膜があって、筋肉があって、関節があって
というレイヤーに関しては、わりと想定内。
そこでの変化はないかもしれない。
 
だけれど、ここの感覚がどこまで届いていくか
という内側で起こる走行に関しては、
前よりイメージするようになりました。
 
うまく着地できているか解らない、
自分の技術として足りないところもいっぱいあるなと感じています。
 
だから、今度「内臓マニピュレーション」ていうクラスに行くんですけれど、
それは、内臓まできっとつながっているというイメージがしやすい今だから
ちょっと学んでみたかったんです。
でも触るのは絶対、皮膚でしょう?
だから内臓マニピュレーションで何をやるのかが解ったら、
もう少し精度が変わるのかなと思っている。
 
 
 
十音――剖いたのに、つながりを意識したんですね。
 
小松――剖けないということが解ったんです。
ひとつの筋膜を剖いていると、
次の筋膜に当たっちゃうから。
 
だんだん、じゃばらになっていくんです。
「付着部を残しておけ」と言われていたので、
筋肉のある部分は結ばれていて、中はじゃばら。
それがびろん、と広がってくる。
 
片足だけは全部組織を取ったので、
そうしたつながりをあえて絶って、
骨だけにして。
関節なんて超きれいでしたね。
 
いまだに焼き肉屋に行くと前より楽しいんです。
だれも食欲をなくしていなかったです。
むしろ増進してましたよ。
食べたいものがどんどん増えていく。
 
どうしても食べ物に例えてしまうんです。
自分の記憶に焼き付けたいから。
体験と体感を自分の言葉で言語化したいんで、
自然と例えてしまう。
 
 
 
 
 
 
 
一番変わったのは、…というか思いを確かにしたのは、
五感からの刺激の質を上げるということ。
 
「五感で世界に触れる」と言う点では
日本タッチ協会でやっていきたいこととも
考え方が近いと思うのですが。
自分の感覚器の精度を高めたい
という気持ちが強くなりました。
 
お客様に対しても同じ気持ちです。
五感に色々な刺激を与えてあげたい。
 
セラピーにおいては、
最初の入り口としてはやはり皮膚だなと思っているから、
ストロークするときは皮膚のことを考えているし、
ムーヴメントする時は関節のこと考えているし、
ストレッチする時は筋膜のこと考えている。
ディープティシューの時はいくつか複数のことを考えている。
そんな風にして触覚の受容器に様々な刺激を与える。
 
そうやって五感の精度を上げていくことが、
幸せに生きて死ぬ秘訣にも繋がるんじゃないかと思いながらやってます。
 
 
 
 
 
 
 
 
――<ほぐしをほぐす>はこれからもこうやって、
「解し難い」ことについて言葉を尽くして行うこともあるし、
ほぐしのスキルについてズバリと入っていくこともあるでしょう。
今夜は、小松さんの「手技」ではなくて…
「話技」というか…
これも刺激で、
この時間はセッションだったと思うんですね。
このセッションに参加した自分の、
コリがどうなったか、
解されたかむしろ強くなったか…
コリって、「ないほうがいい」って決めつけることもないと思うわけです。
電気の抵抗みたいなもので、
抵抗あるところに熱が生まれるもので。
 
さっきのトラウマの話と一緒ですね。
 
――それがどっと流れた時の感じを味わったり、
もやもやを言葉にしようと
見聞録をいっぱい書いているうちに、
さっきの人間キネシオロジーではないですけれど、
 
精度は上がる。そこまでやれば。判断力が出てくるかなと思います。