tonenoteトオンノオト スタンダード
花束に薄っぺらいセロファンとピラピラしたリボンを付けるようになったのはいつからなんだろう
と、駐車場の車からそういう花束を持って降り立ち歩いている釣り人のようなおじさんを見ながら思った。
送別会でもあったのかな。指紋がついたようなアルミホイルを剥がすと濡れたティッシュから水が滴り、輪ゴムが茎を傷つけている
ご丁寧に花の色と合わせたもしくは合ってないシフォン様の合成紙もセロファンと重ねられていたりする
全部はぐと、花や葉が、やれやれと疲れた姿で横たわっていて、何倍にも膨れ上がった包を分別する気も起きずにゴミ箱に入れたりする
きっと花と包はセットで、剥ぐことなど想定されていないのだろう。
包まれたままの、セロファンの音がする状態で飾られ、中身だけがカサカサになって、リボンだけキラキラしているみたいな状態になってもいいし、もしくはその前段階でゴミ箱へという想定なのかも。
ところで誰があれをスタンダードにして、流行らせたんでしょうか。わたしが物心ついた頃にはすでにあれがスタンダードでしたから、花屋がそうでなかった時代などあるのでしょうか。
そういうものだという思い凝りがなんだかつまらない。
そして花屋さんは花を愛してるんだろうか。
この程度でみんなと同じようにと作られた流れによって、その美しさ自体が大衆に届かなくなっているモノがあるのでは。
ところでわたしは「常識をぶっ壊せ」というフレーズ陳腐だなあと思います。
それが常識かなんで常識かと問うてほしいし、スタンダードをいつも疑っている。
最近いつもなんでも疑っている気がする。