間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

セラピーを受けに行く。

こんにちは。調子はいかがですか。

 

5/1からの新元号「令和」の発表。
なにか「ゼロ」や「霊」や「冷」を感じさせ、心が一瞬「陰」カラーになったのち、「礼」も「麗」も浮かんできてちょっと華やいだ気分になり、
そういえば「律令」の令か、と十音のはなれ「律」との相性を思ったり。
人生で「和」を2度過ごすとは思いませんでしたが、れいわはいい響き。
Rだっけ、Lだっけ?と夫に訊いて笑われました。

 

年度末の午前、「ほぐしをほぐす Vol.1」でもお世話になった先輩セラピスト
小松ゆり子さんのヴァイタルタッチ・セラピーを受けに。

yurikokomatsu.com

 

 

実に3年ぶりの予約。
3年前というのは、十音が4月に開室する直前の2月の新月で、
ジャンルは違えど同じ音楽業界出身、「セラピーはエンタメだ」と言う発信に共感してのコンタクトで、
まだお商売としてセッションルームを運営する前のことであり、
40歳前でもありました。

 

小松さんのセッションはわたしにとって、当日出かけていくことより予約を入れるのに勇気を引きずり出すもの。
受けたら自分が変わるとわかっていても、必要な「中身」を蓄えたいと思って3年も伺えず。


十音の運営を続けるなか、そして、
先輩として無茶にも小松さんに対話をせがんだ「ほぐしをほぐす」も経て、わたしのヴァイタルタッチ・セラピーの受け取り方はどうかわったのか、確かめたくなりました。

 
昨年度は大きな転換点がありました。セッションルームを構成する要素ががらりと変わるような節も。
女性的な性質と男性的な性質の摩擦がつらく、傷が膿み始めており、自分をうまく扱えない…ギシギシときしむような心で満開の桜を見上げたり、なんだか天地がぐるりと変わって立つのがおぼつかないような年度末。

きゃああ。要、禊!

ということでイマココを確かめるようにセラピーを受けに行く。

わたしは緑色がかった土気色の艶のない肌をして、驕りと羞恥心とが20歩ごとぐらいに交互に顔を出すような状態、
泣き笑いのような顔で、アトリエにたどり着いたと思います。
交感神経がオンになってくれない。疲れているなぁ。

ああ、部屋がいい匂いだな。

施術だけでも120分、その前にこんなに聴いていただいていいのかというぐらい、とりとめなく自分の内面を言葉にする。


「ほぐしをほぐす」の対話でとことん触発されたり、打ち返していただいた経験もあるので、正しい質量で受けとめていただけると信頼して、まずは出してしまう。
「リフレクソロジストとしてのヤマザキ」に打ち返していただいているのが分かる。

話している間に、空が晴れて、アトリエが白く白くなる。

 

ペンデュラムで選んでいただく精油。樹皮、実、花弁と3種類。

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3年前とはまったく感覚の違うセッションとなりました。
自分も触れるしごとをしているから、当たり前と言っては当たり前なのですが、
セラピストとの接点の感じ取り方がまったくちがう。

そして、武道や茶道の所作や見立てのように、
小松さんのセラピーの一挙一動一触が、自分の中にストーリーを触発するというのが興味深かったです。
ある一触れは、私にとってこういう意味を持ち、
この一揉みは、私にとってこういう意味、
偶然の音さえ、五行の声に聴こえる、
といった具合に、自分の心身に合わせたストーリー付けがあとからあとから浮かんで腑に落ちていくのでした。

 

例えば、終盤にホットストーンが肩に積まれていくのを感じるんだけれど、
お仕舞いだ、ということが時計をみなくてもわかり、
「わたしは今、お弔いをしてもらっている、しかしこの世でまだやりたいことがあったんだけどな、ばいばい」というセリフがなぜか浮かび、
でもこんなにいい香油を塗ってもらって、あったかい石と一緒に眠れるんだからよかった、と本気で思って、タオルの下で涙がぽろぽろ出て来てしまいました。

 

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スタート時に選んだ石たちが、古墳の中の私の装飾品のようにチャクラに置かれていく。後世発見される時には、きっと感嘆の声とともに迎えられ、わたしのからだも美しい出土品として扱ってもらえるだろう。だってこんなにいい香りなんだから(と、本当に思った)。

 
埋葬される自分を見るような、不思議な感覚。これは人それぞれだと思います。

山笑う、ように、石笑うことも知った。
ソ連の映画「石の花」を思い出す。生きた石を彫らせてやろう、と山の女王に言われて、山に入って行ってしまった婚約者を、連れ戻しに行くカーチャの物語。

小松さんにはタネ明かししていただいたけれど(笑)、ストロークの途中から突然手のひらに火が生まれるように熱が滑り始めるんですけれど、
長い年月水に穿たれて丸くなった石が、まだ水(湯)と協力してこわばった筋肉に作用してくれる。

石の花が咲くように音をさせて、身体から石が取り除かれてお湯の中に戻ってゆき、
出土されたように目の前が明るくなって、目覚めます。

小松さんは私の周りで、まるで五行の使い手のように動きながら、心地よい湯の流れや石の触れ合う音も繰り出していく。120分の、数々のセラピーの饗宴。一人でやるからすごいです。

と同時に、リフレクソロジストとしてわたしは自分の手のひらのみでクライアントに触れて結果をだそうと、力みすぎていたのではないかということにも気が付きました。


むしろ、自然手技療法者というのは、巫女のようなもので、
ちょっと道具として五行に身体を貸すぐらいの存在なのかもしれない。

その一挙一動一触は、理論と実践に基づいて確かなものでありたいし、
腑に落とすのにストーリーを喚起させる美学もあればなおセラピーとなるだろう。
自然現象のひとつとして、毎日物語の中で漂っているのがわたしたち人間ですが、
セラピーはその自然(=五行)との境界をわたしに教えて、
しっかりとした形をくれる。

 

そんな感覚でした。

最後にわたしの状態には西洋占星術がちょっと必要だったので、そんな話もし、
羞恥心は消えて、そのかわり、自分の獅子を「仕方がないな~。肉食って、はたらきなさい」と飼いならす術を考える。


「ほぐしをほぐす」ではセラピーにおける「介入」のことも話し合いたかったのですが、時間切れとなったことを思い出す。小松さんがセラピストとして、五行や星が言っていることを経験のフィルターを通しながら伝えて下さるフレーズは、人による人への介入ではないので、クライアントとして自分を支える五行に気付くことができ、深いセラピーになる。

五行や星の言っていることを受け取るにはセラピストはとても学びが必要で、学びが浅いと、出典がセラピスト自身の想いとなってしまい、余計な介入となり、セラピーが浅くなってしまう。


とりとめありませんが、わたしは今、出土した自分を見ている気分。

 

WIXのブログアプリがあまり交流を好まないこともあり、
複数のブログサービスを使ってみようと思い立ちました。
3年前、2年前、1年前の同日の投稿を、こちらに徐々に移していこうと思います。
それが内観Reflectionになったりもするでしょう。