間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト 思考の五行的棚卸

何かを興す時
周りから見たら無節操に散っていて全く体系になっていない私の興味が、実は1つの方向へ流れていく大河に流れ込むたくさんの源流みたいなものだったと解る時


源流の出どころがどこの山の上かをマッピングするために、
部屋の真ん中に鎮座する大きなテーブルいっぱいに、書物と文字の棚卸をする。

 

百科事典なみに、リベラル・アーツ意気を刺激してくるビッグイシューからは、1巻に最低1つはインスピレーションがあるし、先日は、新聞の特にドラマティックでもない、ありふれた起承転結の記事に、忘れていたことを引き出してもらった。


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ノートを広げて、浮かんだ言葉を自由に書いていくと、『モルダウ』みたいに旋律が見えてくる…なんて書くとロマンティックですが、実際にはちょっと焦った流れというか。

 

土がしっかりしていないと、大河はうまく流れずに洪水を起こしたりするので、それが持続可能なことなのか、何よりも自分の興味が持続するものなのか、身体が興味の消化不良を起こしていないかを検証しないといけない。

あまり検証しすぎると、それはそれでお腹を壊すことになるので、勢いも大事。春がくるだけに。

 

体系化は苦手だが積み重ねは得意だから、そういう時の情報収集はスパルタ式に、勉強のようにするのがいい。幸い、4月までまだ少し時間がある。

 

そして、書き留めておくことは大事。勢いは覚えておれない。

 

失速する時(しょっちゅうある)は、無節操な興味は本当に無かったかのように散ってしまって、虚無感にほっぽり出されてしまうから。アリアドネの糸のように、メメントの身体の傷のように、残しておく。自分がちっぽけで、何もできない人間だと感じて落ち込んでいる時、自分の文字が糸となって洞窟から出てくることができる。暗闇って大事。そういう時に手に触れた糸は、本物だから。

 

「塩」と「薬草」と「手技」と「交易」という山から流れてきている源流を観察中。もっともっと源流はあるんですけれど、書物数を日数で割ると4月までにどれだけ身体に刻めるかなと思う。

 

それで…楽しくスパルタの1つとして、ノートを取りながらこれを聴き続けるというのもやってます。1日4話で1日2時間、25日ぐらいで追いつけるだろうか。

 

 

その他、200冊ほどあるビッグイシューを読み返したり、
行かねばならない場所をリストアップしたり、
調べなくてはいけないことを書きだす。
疲れると宮本輝の小説の登場人物に刺激を受けてまた勇気を引きずり出す。

 

ちょっと「交流」を断ってしまっているなという自覚はあるが、
そこは薬店サバンナでいろいろな哺乳類とやりとりしているから、今は免除。

 

でも、セッションは大事、次は17日(火)から受付中です。春節前にちょっと刺激して、身体をスキャンしておきましょう。