tonenoteトオンノオト 掃除は汚れへの移動要請
丁度3年前に、この本をあげていたんでした。
reflexologytone.hatenablog.com
一人の優れた医師や療法家が亡くなってしまうことの喪失。その人のまとっていたであろう静寂が亡くなってしまったという感じ。
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掃除のこと。
十音はいわゆるナチュラルクリーニング派で、基本的に石鹸、重曹、クエン酸、酸素系漂白剤(すべて粉末)、酢でなんとかします。
家じゅうこれ一本、みたいな合成洗剤や薬品と比べ、酸性汚れにアルカリ性、アルカリ性汚れに酸性をと、使い分けていくので、掃除に頭を使う。
そして、今のところずっと汚れに「勝てた」ためしがない。
おだやかな中和を旨とするため、あまりきっぱりと新品同様に戻ることはありません。
また、中和するのには待たねばならぬという、これも合成洗剤と違うところ。
使っている石鹸には、「掃除は、汚れを他におしやる行為」というけっこう衝撃的な文章が載っているんですけれど(これの後に、「しかし健康には必要な行為」と続く)、カビにも垢にも、中和して、剥がれて流れていって頂く、という感じ。殺す感、消す感が皆無。掃除すればするほど、汚れや菌というものに、「ちょっとどいて頂く」みたいな気分になる。
特に水回りの掃除には酸性からアルカリ性全部駆使していくので、ウデの見せどころ。
「風呂場はあきらめてね」と、この部屋を借りる時管理人さんから言われました。築50年で歪んだ天井、ステンレスの風呂釜、リフォームが少々雑でペンキのはみ出た戸の枠や壁には黒カビ。掃除がしやすい、といったことが重視されるのはきっともっと後の時代のことで、埃が溜まるのにうってつけの隙間が洗面台の左右にあいている。
からだが疲れてくるとここの汚れで自棄な気分になってしまうため、この夏休みにいっぱつ大掃除をと思っていたのを、午前中に決行。体力知力を使い果たしました。
中和のきかない頑固な黒ずみとにらみ合い、全身びしょ濡れになって自分も石鹸にまみれてふと、そのカビに親近感を抱いている自分がおりました。沸点。
ーー十音家は今のところ、リスクが高いにも関わらずコービッドさんたちとうまくやっているほうだが、たぶんこの、菌や汚れの領域をあまり侵さない姿勢や、カビとの共生が、彼らとの「棲み分け」を可能にしているのではないか。打倒とか、勝つとか、殺すとか言わずに、こうやって汚れの存在を認めて生きるやる気のなさに、その汚れやカビも、ひいてはウイルスも安心しており、その「安心感」に我々も守ってもらっているところがあるのではないか。だからコービッドさんたちも、家にはいるが、私たちを排除しようとまではせず大人しくしてくれているんではないかーーー
まったく非科学的なのですが、そう仮に悟ってみるととたんに汚れに対するいらいらが消えたので不思議なものです。あまりにピカピカになってくれないので、こう思わないと生存できないのかも…
数日後、お声がけ頂いて夏休み中のセッションをすることになったので、セッション部屋も磨きました。埃を払い、床や窓枠を磨いて、風を通します。精油の瓶も磨いて、五行で並べて眺めてみました。もともと整いやすい部屋なのですが、ちょっと磨くと途端に空気が柔らかく澄むという印象です。
手入れにとって、部屋は音と同じく共演者。向き合うクライアントと十音を包んでくれます。曇りをとることが大事です。