間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト N系の旅 30/1640

ゆるハイソク(dorsal)モードの十音です。

誕生月であるところの夏に大人になってから繰り返す、前頭葉真っ白に記憶が飛ぶぐらいの炎上と秋になってふとまわりを見渡すと焼け野原で独りというパターンを変えるべく。

冗談でしょそんな風に暴れるように見えない、と大方の笑いの中に、
いや私は知っているシヴァ神の化身のようなあいつ…と黙る方たちがきっとおられます、こういう「恥ずかしい」という感情が噴き出るのも夏です。

 

ここで夜中に書いたラブレターを全部やぶりすてるかのごとくなシャットダウンも、本当の居心地の良さをもたらしてくれるものではないことを知っている。

 

だから、ゆるっと背側、ゆるっと腹側っとゆーらゆーらしております。今はなんだか希望がもてて、よい気分です。

 

薬店で登録販売者としてレジに入っているときは、同じ背側でもプチシャットダウン状態で、目の前の棚に並ぶ特売「ヒヤロン」なんかをぼーっと見つめてクールダウン。足の甲をストレッチしてみたり。「何かしなきゃ」とレジ中掃除したりするとお客さんが来た時にイライラしたりパニックしてしまうので、「居る」のが仕事と思う時間をとってみています。

 

 

多重迷走神経について学んでいると、自分の周りのいろいろな物事が、交感、背側、腹側とゆらゆらしていることに気が付きます。

 

例えば、今年はベランダの生態系がおかしいと先日書きました。
なんだかゴーヤの交感神経の働きが高まりすぎという印象なのです。

絡み方がいつもの年とちがって狂気じみている。自分の葉に蔓をぐるぐる巻きつけて、そこに他の蔓も参戦してまるでリンチのよう。根本に不釣り合いなやけに太い枝をだらりとネットからぶら下げてみたり。上部のほうはもう絡まる場所がないのに先端が何頭も(竜の頭みたいなのです)のたうって、逃げる場所がなくて叫んでいるかのようです。

 

植物的機能なだけに…と呑気にしてもいられないものを感じ、よくよく観察してみたら、シャクガの幼虫が大発生していました。枝に擬態する尺取り虫です。
柑橘や梅の葉を食べるのは知っていたけれど、追いやられて、とうとうゴーヤにもついたんですね。本当に好きな食べ物ではないはず。それだけ生存に必死なのでしょう。
ゴーヤも必死に抵抗して、それで狂ったように茂ろうとしている。

 

さて、大地の上ではない生活のつらいのは、かれらを土に還すことができないこと。
昨年の柑橘に付いたアゲハは全員蛹までお見送りしたのですが、今年の十音は差別に出ました。なんと見つけ次第斬り捨て御免です。

…彼らはものすごく暴れますし、胴体を切るだけでは頭が動き続けるんです!もう人間の神経系にうっとりどころではありません。

だからぺしゃんこです。さっきは緑色の返り血が1メートル飛びました。もうこちらも木気マックス。もうメロンソーダとかメロンかき氷とか見たくない。

 

社会的交流をここちよいものにする「新しい迷走神経」という言葉からは、数年前旅した中欧の路線を思い出しました。ハイな交感ウィーン、背側なプラハ、ちょっとぎこちない腹側ドレスデンからどんどん西へ行ってベルリンに入ると、途端に「店員さんが客にとりあえずニコッとする」という光景を久しぶりに見たな…と。欧州の神経走行。

 

 

図書館で借りた本たちの返却期限が迫っていてどうも焦っていたのですが、数をこなすといいこともあります。次に読めるだろう(買いたい)本が出て来るのですね。十音に必要なピースがわかってきて、学びが統合されていくという感じです。

 

(30/1640 前回のSEセッションが1か月前ぐらいだったからで、そこから始まった旅の記録だから30日目ということで、1640は神経系エクササイズをまずは続けてみる日数4年7か月)