tonenoteトオンノオト 蔓的成長について
土用に入るんですね。
蔓的成長について
自ら巻き付くやつ
マダガスカルジャスミンとか、朝顔とか
伸ばした手が触れたとこにつかまるやつ
ゴーヤとか、今年はないけどきゅうりとか
お互いに絡むやつ
羽衣ジャスミンとか
信州ではキウイの蔓がお互いに絡まって、支柱もないのに1メートル立ち上がっているのを見た
20年前に一目惚れして手に入れた浴衣の柄が水彩の庭
土曜のゆかた夜話のために準備しようかと思いいくつかの書物を読み直してみたりしたけれど
正しい五行論なんてものがあるわけじゃあるまいし
今日も食べる
提唱者インガ・ドーガンの論ずる世界は加圧、反射区療法としてのリフレクソロジーのカテゴライズをふっとばして、臨床的な哲学みたいになっている。
東洋医学や五行は、人の臓器にベッタリと張り付いた不調の症状を、一度ふわっと引き離して、「不調とワタシの間」をながめて味わって、響きを聴いたりする装置のようなもの。
ところで今取り組む神経系エクササイズでは、とにかく自分のからだが起こしている和音の響きをぼんやりと味わうグレ〜な状態を過ごす。ただからだの中にそれがあるな、動いているなと認めていくという感じ。時間が経つと感覚が変化する。まるで蕁麻疹が体表を移動するみたいだったり、むわむわがじーんに変わるだったり。
セッションから10日、自主トレをしている。相変わらずずっと「静かに絶望」しているんですけれど、変化もある。私に発見されたむわむわやじーんが歓んでいるということ。時間切れになってまだ焚き上げるまでにいけないことが多いが、気がついたらならヨシ。とからだから言われる。
その装置をなんと呼ぶか知らずに、十音はセッションにその装置を仕込んでいたと思う。そこに指をあてがうということが発見するための装置でしかないことも知っていて、だから時間がかかると思って一式を90分にしたのだろう。きっとコンサートも90分の一式で人は何かを焚き上げるのだろう。そういうことを体系的な知識にできないけれど、センスはまあまあいいところを行っていて、あとは専門家の助けを請いながら、続けていくのだろう。その場合のわたしのやり方は、上記ゴーヤ型なのだろうと思う。ホントは羽衣ジャスミン型に憧れるし、そういう方たちを見ていいなあ仲間に入りたいなあと思うこともあるけど、きっと巻がズレている一本蔓だから続かないだろう。
クライアントをよく観察しクライアントがもつ五行のものがたりをよく聴きなさいあなたは足のリフレクソロジストなのだから、足に触れながらそれをやり、クライアントと共にそのものがたりを足から現してやりなさい
あなたのもやもや足から聴いてみませんか