間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

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whole にもpart にも疲れてしまうことがあります。
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幼い頃から聴音をしていました。いわゆる耳コピができる能力でもありますが、楽曲に関して言えば全体に浸ることが難しくなったりもします。だから私にはヒーリングミュージックがありませんし、「記憶力が増す音楽」とかでかえって気が散ってベンキョウにならんことが多いです。

話は戻って、耳コピと楽譜おこしの話…
小さなパートにわけると、様々なことに対処できる(だって、大学に受かりさえするのです!)ため、自分はwholeをpartに分けるのが得意だと思っていました。分析グセも。参謀ぶるのも。

ある曲をパート譜にできたり、音声を子音と母音に分けてみたり、問題を分析したり、戦いは先鋒から大将の5人に役割分担するし、人体はどこが具合が悪いのか突き止めたいし、世界は5行に分け気味(笑)足も26骨とそれをつなぐ肉のパーツにわけてから、オイルマッサージに入ります。
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カオスであることに苦しんでいると「わける」ことの快感て麻薬のようにハマるのです。
不定愁訴に病名がつけられた瞬間のように気が楽になって、ADHDとかも飛びついてしまいます。(あ、HSPってのはイマイチ…)

気がついたら周り中「わけた」人たちばっかりでした。
解りにくいことが承認されにくくなっていきます 。解った自分に陶酔します。
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そんな大人になってルネサンスポリフォニーに出会いました。
全体として聴いていると大きなうねりとなって満ちたり引いたりするものが、あるパートを担う一人の歌い手になるとまたマニアックな「オレが動いて世界を変えた」歓びがあったりする。
どちらの世界も行ったり来たりしながら、すごいメタ認知をやっている天性たちに驚愕しました。

ルネサンスダンスの師匠小澤高志の命日付近の、この清明の季節には、彼の思い入れのあったらしいウィリアム・バードの“木の葉は緑” を聴きますが、実は思い入れが入っている演奏よりゲーム音楽のように淡々としたものを聴いたり、見ることの作用は大きい。
wholeもpartもくそくらえというかんじに疲れた方にはオススメします。

気が向くと意識が、ホールとパートを容易く行ったり来たりし、視力調整のようにこころが強くなることもあります。あるときはぼんやりと1つの楽曲として聴き、あるときは1つのパートを追って、趾のそれぞれの疲れを認知するように、鎮まります。
昨日伺った #ソマティックエクスペリエンス のセッションはまさにこんな感じでした。すごい運動量で、帰りの緩やかな坂を登るのに苦労。
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今日からは #キネティコス の筋膜解剖ライブストリーム で骨盤周りを見ています。(私の学びは自由七科を5行にわけて進めるので土曜日の今日は土、つまり人体からということで最適なスケジュールなんです〜!)
骨盤の幾何学にくらくらしました。捻転した8の字が左右対称に配置されている…わけわかりません。踵骨もまだ描けない空間把握苦手な十音には、骨盤は複雑過ぎます。画面を見ながら自分の骨盤をまさぐるだけで180度開脚ができそうになるモジュールでした。あと5日間も浸れるので幸せです。
骨は滑車のように動作を増幅するということも新鮮でした。つまり、こんなに骨を擁する足の動きの可能性たるやです。

まだ整理しきれませんが、次に関節に指をかける十音はまた違う刺激を提供するかと思います。
来週土曜日ぐらいからお会いできるかと思います。 律rhyth-十音のはなれ も5/6に間借りしています。
最近さあ、となんとなく話すことの大切さ。
解ったら、次は統合かなと。繰り返すのだと思います。