間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 大寒 水沢腹堅

1月25日(月)独りじゃやりにくい解しを

 

なんで腹堅で「こおりつめる」なんだろうと思いましたが、土用の真っただ中には納得してしまう暦名でもあります。七十二侯って動詞なので、躍動感がありますね。今朝はオナガドリか、ヒヨドリでしょうが、空をつんざくような声が行き交って、あ、春が来ると思いました。

 
それはそうと、お腹が堅いのはよくないんです。腹診はできませんが、足を触っていれば同じことなんだろうなとわかります。
緊張していた10,20代なんかは、胃がぽっこりと前に押し出されているような状態で鳩尾ががちがち、指も入らない状態でとてもきつかったですが、今は丁度よくなりました。ちなみに、ふくらはぎが堅いのも自律神経の働きのバランスが崩れているかなと思います。力んでいないときはタルンタルンの美味しいお餅みたいな感じだといいですね。

 

寄り道が多い人生というか、経験すること全てに重きを置くので寄り道が人生かという十音ですが、ことほぐしやになる前は音楽畑で働いていました。
その中でも音楽ワークショップの運営と音楽ワークショップのファシリテーターを養成する講座の運営チームで考え続けたことは、十音の運営にもわかりやすい形で息づいていると思います。(歌を歌っていたとか、警備員やってたとか、農家の手伝いさせていただいたとかいう経験もありますが、それも息づいています)

 

ワークショップって何?という説明はここではご容赦いただいて、わたしはスタッフ時代、出来の悪いワークショップの場に何度も遭遇して嫌気がさしてしまい(ごめん)「ワークショップなんてない世界」が理想でした。人が十分に友達と遊べたら、生きるにあたっての力は身に着くはずだから、ワークショップというのはいわば他人に設定してもらう遊びの場。ちょっと屈辱的、と思っていたのです。
その究極のお節介の場を時間内に成立させる「ファシリテーター」という役割も、本当に質のよいファシリテーションをする方はなかなかいない。結局優れたファシリテーションをする方は自分の仕事や生活の中ですでにそのワザを身につけていて、養成されることのできないセンスのレベルなんではないかしらと思っていました。
そして、「ワークショップ」と名のつく場に自分が参加しても、結局その場を乱してしまったという自己嫌悪ばかりが募って辛いのです。

 
さて、上記の「ワークショップ」を施術(セッション)に、「ファシリテーター」を手技療法者とそっくり置き換えてみれば、なんとしっくりくることでしょう。結局わざわざ設定して、お金を頂いて、やっていることなのです。究極のお節介なのです。
そして、(恐ろしいことに、)「へたくそな施術なら、施術場なんてない世の中が理想」ということになります。適切なタッチを受けながら、友達とわちゃわちゃしながら育ち、温かい抱擁や支えとともに生きることができるなら、きっと手技療法なんて出る場のない社会が成り立つのでしょう。

 

しかし今は足りない。これからもきっと足りない。だから必要が生じるはず。

 

そんなに根源のところでなくても、生きることを彩ったり、力強くする術として芸術や文化のように必要とされる道もあります。


キャッチフレーズとして「ひとりじゃできない学びを」というのを出し(て却下され)たことがありますが、
手技療法者となった十音は「独りではできない解しを」テーマ できないが強すぎたら、やりにくい、ぐらいでもいいですね。手が届かないよみたいな。

 

小島慶子さん。やっぱり面白い。

老いの兆しが私たちを聡明にしてくれますように【小島慶子】|ウートピ

モノを考えて来た女たちに言葉がたくさんある、というくだりには頷いてしまいます。
うまい方向に発したいんですけれどね。墓穴ほる方向でなくて。

ご縁を大事にしながら、2年たったら2023年。
2025年までまだ2年あります。
そこで「ケア」を仕事にできる準備をさらに進めていく。
やっぱり次の「4年」なのかな~。

 

1月26日(火)

 

東京文化会館のシンポジウム中。提起や活動や何よりもそこで炙り出された事の現場報告は印象的。芸術団体や大組織のみならず個人事業主にも音楽家にも本当は求められる。行政やウィルスや客に嘆く怒るで止まってしまってたらいつまでも応援団が増えないなと感じる。

https://t-bunka.jp/stage/8235/

 

制作担当の方が、コロナ前でも禍下でもやっていることは本質的に変わらないと言い切っていた。ベースに「ニューノーマル」を如何に活かすかが加わっただけと(スタッフ強し!)音楽するという事は集えない歌えないで否定されるほどヤワくなく、本質もっと強かかも。いいスタッフを大切に…

 

で、アーティストでスタッフでファンで…と全部独りで兼ねている人は(十音もそうですが)、 アーティストとしての自分を叱咤激励しこの社会で自分をアーティストにしとく為の基盤をスタッフとして整え他の仕事をしてでも金とか整えて(貢いで)やりながら、自分を生かし芸を高めていくしかない。

 

ホールの制作ご担当がさらりと報告したセレンディピティserendipityという18cイギリス発らしい言葉を初めて知りました。私はこういう言葉に萌えるタイプではないのですが、こう言うが強いということがよく判った。

 

こういうシンポジウムや講座って、タイトルに入れた言葉にひかれて聴講する人も多いと思うけれど、今回は「コロナ禍における」ってあんまり関係なかったんでは。コロナ禍以外の時もやっていたことが、コロナ禍でも強かったってことだなと。

 

登壇者自ら「したたかにやってきた」って仰ってた(笑)「ひらいていなければいけない」とも。文化「施設」の活動にフォーカスしてブレず、制作はウィルスに関わらずある意味もっと密に(話し合いながら)働くのだということに尽きる大きなヒントのある活動報告でした。抄録がホームページに出るそう。

 

1月27日(水)

 

日経に「高齢者ワクチン接種6月完了 要」という見出し。

ワクチンのことを、あまり知らないなそう言えば。危険だという派もあったと思うけれどどうなっているんでしょう。

情報って点。つなぎあわせるには胆力がいる。点を集めたところで満足しているのはどうも、人間て感じがしない。
もう一つ。自分事にするということについて。
コロナ禍は人口を減らすためのナントカなのでは、と思慮深げに言うのはいいが、自分が「減る方」だという立場の文章が見えないのが疑問。減られたら迷惑なんでやめてほしいけれど、減るのは他人だとばっかり思っているような口調で言わないでください。

 

1月29日㈮

 

有言実行で失敗を繰り返すと、臆病になってしまって不言実行になり、それをやっているうちに、実行できた結果もなんだか報告するのに勇気がいるようになってしまいます。

でもエイヤと引きずり出して…

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医薬品 登録販売者試験 合格しました!

東京都の試験がウィルス禍で延期になり、もう来年だなーとだらだらしていたら、休止前の最後の手waza市 にお越しくださった方から12月に試験あるよ今週末が願書締切だよ、と教えていただく。はあああ!

コレも受けろという声か?と、9月半ばに問題作成の手引き(出題範囲)を印刷して試験勉強すること3ヶ月。

精油の薬理と同じく、成分の組み合わせの妙でできているOTC薬の世界にハマってしまい、苦手なカタカナもセミアルカリプロティナーゼとプロメライン、ぐらいはスラスラ読めるようになり、薬店の品出し作業もぐっと精度が上がり、時には社員さんの代わりに棚作る助手なんかしたりして。

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薬理を知ると病理が知れる。

酒呑みとしては肝臓の偉大さに恐れ慄きました(ごめんなさい)。そして人体の申し送り機能にも感動しました。小さな3次元の中でよく「間」が働くこと…

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自己採点によると医薬品基本と人体と薬機法は満点(えへん)、医薬品成分と安全性を入れても全部で113/120点はとっているはず(でも上には上がいます)、しかしそこはマークシート方式なので何をやらかしたかわからず。とうとうこの日が来たという感じです。

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さあ、でも「それって国家資格なの?」と言われるぐらい資格としてはマイナーですし薬店業界と深く結びついた任用資格ですし、いくらセルフメディケーションの適切なサポートと言ったところで、医薬品よりも衛生用品!みたいなご時世です。

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東洋医学的リフレクソロジストとしての活かし方を考え、今は、漢方薬局で販売従事させてもらえるところを探しています。

今品出しに関わっている薬店系列でも社員登用の道をうちうち提示していただいたのですが、兼業できないのでナシ。本末転倒になってしまうから。でもあと4年ぐらいで経済的な基盤をもう少し整えたいとは思っています。

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ポストコロナになったとしてもこれから何度も感染症との付き合いがありそう。

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何度でも休止したり減らしたりして、何度でも力を蓄え、何度でも始め直していくつもりです。

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十音はやめません。最近やっとやっと、セッションの場で自分がしていることがわかってきたところです。十音にとって情報や学びは、生業を強く靭やかにするために自分で選び取って得るもの、そして、十音が必要とされる時が来たらいかんなく発揮して行動できるように準備しようと思います。

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さ、明朝もバイトでございますから、寝ます…