皮膚と肌。
2年前の、十音イタリアルネサンスの旅。伏線は解剖とアート。
写真の冒頭この人はミラノの大聖堂にいる聖バルトロメオですが、4本の足のうち2本は、抜け殻です。皮膚を剥ぐという処刑があったんですね。だからバルトロメオさんはいつも自分の外側を背負っている姿で出て来るんですけれど。最初は、頭を丸めた男性なのかな、と思って気が付かずに普通に見てしまい、あれ、足4本だな、うしろに誰かぶら下がってるじゃん、という感じでうわっと気が付くのでした。
キリストの磔刑像がどこからも自分を見下ろす文化のもとで育っていくというのはどういう感じかなと想像します。
(表面的に生きて来て、歌を歌うようになったことで自分の肉について気が付いてしまって、20代は内臓感に耐えられなくなったんだなあと自分のことを思います。)
先日夜、「ヘルタースケルター」を一人で見て感慨深かった。「あの子はさぁ、目ん玉と耳とアソコ以外はみんなつくりものなのよね~…」と桃井ママが言うんですが、それって考えてみたら表面だけの話。それなのに消化とか代謝とかいうことが沢尻エリカや水原希子に思い出されるのは吐くシーンだけ。
アルモドバル監督の「私が、生きる肌」も観よう。イタリアのペンタメローネにも、美しくなりたくて自分の皮膚を剥ぐ女性が出てきます。
そういえば皮膚と肌。皮膚よりもなんだか肉と一体化しているように感じられる肌の話。リフレクソロジストが刺激を置いていくのはこっちなんじゃないかしらと。
東洋医学は解剖を好まなかった歴史から人体を診るのに哲学が発達したといいますが、古代中国に身体的な拷問や処刑がなかったとは思えない。戦もありましたし。。。案外人のことは剖き解していたのではないかとわたしは想像してしまいます。
それにしても、彫像の形の、なかみっぽいこと…ディエンチャンとか、顔を見る人はきっと1日いられると思います。どんな街だったかがわかるんじゃないかしら。大聖堂のとなりの、美術館の中に残っている人物像たち。