集いと応演。
集いを禁止または自粛すると、
じわじわと、集いと関係のないところまでが元気がなくなっていくことは、
これまでにも実感したことでした。
SNS上でもなんだか「踏み絵」みたいに扱われ始めた、
新型コロナウィルスへの対応。
わたしは今回の場合は、
集いの主催者による自粛はナンセンスだと思っているほう。
しかしそれは、わたしが今までインフルエンザにも罹ったことのない(はずの)、
からだが強いほうの人間で、
しかも高齢者、乳幼児、体力の落ちている方といった「守る対象」が日常にないからだと思います。
それと、わたしが「天災」に関してはこの逆を行く慎重派なのも自分で興味深い。
(台風来るんで身の安全のためにバイト休みます、という感じ)
自分でなんとかなると思うか、力は及ばずと思っているかの違いですね。
集ったから感染して発症する。
集いを禁止されたからがっかりして感染し発症する。
集わないから感染も発症もしない。
集った喜びに免疫力がアップして発症しない。
集っても感染さえしない。
数値で表すことができない上記のリスクを、
うんと考えて決断されたわけですから、
どの主催者さんにも敬意を表したい。
そして、主に集えなかったあとに備えて、
わたしたちは今から養生していく必要があります。
集いを失くすと、いろいろな意味で気が落ち、
経済的な打撃はめぐりめぐって、
自営業者や自主運営者に効いてくるはずです。
そして、十音は4月に5年目を走り始めますが、
こういう、人が外出を控えるようなのは初めてなので、
正直先輩セラピストがリーマンショックと震災時をどう乗り切ったかはとても知りたい。
同時に、自分の具体的な乗り切り策を注意深く記録していようとも思います。
多分、小さな商い同士での、お金のやり取りを積極的に、
小さな演奏会は「応演」する方向を。
今のところ、
国技館5000人の第九コンサートが中止となり
東京マラソンの一般参加が中止となり。
(この方のブログも興味深く読みましたが、「コンサート会場は不足」しているのだろうか?)
やっぱりライブ配信と集いは違うのでは、と音楽会の意味について、
こういう時だからこそこだわってしまいます。
写真は、先日雑司ヶ谷でのライブ。
グラス倒すかというぐらい、元気な大人でぎゅうぎゅうでしたよ。